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週間博物館通信 INDEX
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チンクエチェントの物語 第15回
チンクエチェントのデラックス化 掲載日:2003年9月30日 発売から年月が経つにつれ、『500F』の販売状況はまさに勝利の行進といった感じで躍進していきました。 これはフィアット社に、モラル面での高揚ばかりでなく、営利面における大進展ももたらすこととなったようです。 デビュー時は不評を受けたチンクエチェントでしたが、それから数年たつと大ブームを引き起こすこととなり、当時のイタリアにて最も普及したクルマになりました。 経済性、実用性、使い易さの長所すべてを備えるチンクエチェントは、誰からも愛されるクルマだったのです。 イタリアにおける年間登録車数を見ても、1965年の213,367台から、1967年の317,295台に跳ねあがっています。 大成功と言える販売台数でしたが、1968年に入って最初の数か月の登録車数の伸び率が止まってしまい、同年の『500F』の売り上げは前年の成長率を少し下回ったあたりでストップするかと思われていました。 こうした苦況に直面したフィアット社は、停滞してしまった需要を活性化させるために、スタンダードモデルと並行して、アクセサリーの豊富なデラックスタイプを発売するという方針をとりました。 そうすることで、要求の多い顧客層をつかむことができ、よりレベルの高いマーケットの開拓につながってゆく可能性があったと考えられたからです。 当時、チンクエチェントのオーナー層とは違うハイクラス層においては外国のライバル社の自動車が好評になっていて、販売がどんどんと伸長しており、デラックス化でそのマーケットも取り込めるのではないかと見込んだのです。 そして登場したのが、デラックスタイプである『500L』です。 以下に述べる改良によって、結果は予想を上回るほどの大成功になりました。 長年にわたってチンクエチェントの装備が一途に画一的であったこともあって、ちょっとした変化に対する一般の反応がきわめて過敏になっていたようです。 『500L』の外観のモディファイのうちで最も目立つのは、前後のバンパーに取り付けられたクロムメッキのガードチューブ(バンパーガード)です。 もちろん、軽い衝突事故に備えて安全効果を上げるために付けられたのでしたが、美意識をくすぐるイキなものでもあったようです。 一般呼称として、『500L』は《チューブ付きのチンクエチェント》と名付けられたほどです。 その他の外観のエステティックなモディファイとしては、ルーフサイドの水切りのピカピカのモールディング、フロントウィンドーとリアウィンドウのクロムメッキのモール、新デザインのホイルキャップ、新表示のモデルネームのエンブレムが挙げられます。 シリーズ生産車の『500L』にラジアルタイヤが採用されたことも魅力のひとつとなっており、これによって走行性が向上したことは言うまでもありません。 運転席にはスポーツカータイプの黒色のハンドルが付けられ、その中央のホーンボタンにはメタルが輝やいています。 下部に四角い小物入れを持つ黒色のプラスティックで覆われたダッシュボードには、ガソリン残量の表示メーター付きのスポーツ感溢れるスクエアーなスピードメーターが付けられました。 『500L』のヒットは、以上の新しいアイデアだけが高く評価されたわけではありません。 その他のディテールもさらに洗練されて、『500L』の乗り心地は、以前のチンクエチェントとはすっかり違う新しいものになったのです。 デラックス・チンクエチェントは、ドライバーにとってのコンフォート感を重要視して企画開発されており、その実現にあたっては、モケットのカーペット、センターコンソール上の小物入れ、ドア内部の下側のプラスティック製書類ケースなども新しく採用されています。 ドア内側に付けられた書類ケースはドアを閉じる際に引き手の役目も果たしたので、内部の引き手の設置は省かれています。 新しい縦ステッチ模様が施された合成皮革のシートカバーで覆われた座席に、シリーズ生産で初めてのリクライニング方式が採用されたことは、注目すべきことです。 さらに、『500L』のユーザーのコンフォート感を高めるための気配りのひとつとして、以前よりも大きな灰皿も設置されています。 メカニズムは以前のモデルと変わらぬままでしたが、前述した新考案のメーター内には、『850 Normale』と同様に、たっぷりと130km/hまで計測できるスピードメーターまでがも取り付けられていました。 『500L』には多様なモディファイが意図的にミックスされていて、様々な志向のユーザーに満足感を与えることができたのです。 スポーツマンは新しいハンドルとラジアルタイヤに満足であったし、《派手好き》は豪華で豊富なクロムメッキ装飾に満足であったのです。 実用派は小物入れに満足で、快適派はカーペットのモケットに満足し、ラテン的な色男はクルマがたちまち愛の巣に変貌するリクライニング・シートに大満足しました。 さらに『500L』に装備された一連のアクセサリー不満足なユーザーには各種のオプションが用意されていて、そこから好きなものを選択することもできました。 もしこれら魅力的なアクセサリーがさらにシリーズとして『500L』に付けられていたら、同車の販売価格はさらに高価格になってしまい、販売結果は違うものになっていたことでしょう。 ボディーカラーに関しても、『500L』のために特別な色合が考えられています。 その中に黒色とオークイエローがあります。 この対照的な2色は、それぞれ全く違ったタイプのユーザーのために選定されたもので、このことからも、『500L』の顧客対象があらゆる層にまたがっていた事実がうかがえるのです。 『500L』は、チンクエチェントのうちで最も成功したモデルのひとつとなり、ほとんど改変を受けることもなく、長年にわたって販売リストに載り続けたクルマとなりました。 |
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500L
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| 様々な魅力が加えられ、華やかになったLタイプの外観。 | Lタイプのメーターは、チンクエチェントの中では唯一四角いタイプです。 |
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館内の展示車両移動を行いました。
掲載日:2003年9月19日 チンクエチェント博物館展示車両の大幅な移動を行いました。 展示スペースに余裕をもたせ、今まで以上にゆったりとした配置で素晴らしいコンディションのチンクエチェント達をご覧になれます。 フロントしか見ていただくことのできなかったプントラリーも全体、内装までじっくりご覧いただくことができます。 本物のラリーカーのコクピットは、なかなかじっくり見ることはできませんよね。 チンクエチェント博物館のあるチッタ・ナポリも、そろそろ爽やかな秋めいた風が吹きはじめました。 皆さん週末のご予定にチンクエチェント博物館を入れてみてはいかがでしょうか。 |
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| ヌオーバが3台並びました。ジョリーとプリマセーリエ、USAの細かいディテールの違いがよくわかります。 | 車両移動の為に外に出した一連のスポーツモデル達です。 |
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| プントラリーも今までのようにフロントだけでなくサイド、リア、コクピットまでじっくりご覧になることができます。 | 全体はこのような感じです。今まで以上にゆったりと展示車両を見ていただくことができます。 |
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チンクエチェントの物語 第14回
大成功の後には必ず低迷期がやって来る 1965年:500Fへの変貌 掲載日:2003年9月19日 Dタイプの跡を継いで登場した『500F』の外観上の最大の特徴は、ドアの開閉方法に見られます。 このモデルにはドアのヒンジが前方に付けられ、新しい固定式のボタン式ドアノブが採用されています。 ドアのヒンジが前方に付けられたことで、それまでのモデルの外観の美的とは言えなかった部分が姿を消し、サイドのボディーラインがすっきりとしました。 進行方向にそった前開きのドア開閉を禁じた新法令に順応するためにこうしたプロジェクト変更が行なわれたわけですが、モディファイはドアのみに限られていたわけではなく、この際にボディー全体が再点検されて、単純ながらも意味のある改善が行なわれています。 ドア開閉の方向転換は、ボディーパネルプレス工程そのものを革新化してしまうのに絶好のチャンスとなりました。 それまでにもプレス加工はかなり改良されていましたが、まだまだ開発の余地が残されており、従来のルーフはプレスされた3枚の鉄板で構成されていたのですが、この機会に新しくスタートしたプレス加工システムによって、1枚の鉄板にルーフサイドピラーと半ルーフ部分をプレスすることが可能となったのです。 シンプル化を第1の基準とした改善のプロセスは、ルーフにだけ適用されたわけではなく、他のパーツのプレス加工の改良にもつながっていきました。 こうしてプレス加工方法が改善されたことにより、フロントガラスが上下に拡大されてドライバーの視界が広り、安全性が向上されました。一方、プレス加工されていたダッシュボード中央下部にあった鉄板の小物入れが廃止され、プラスティック製のものに代えられました。 組立工程のシンプル化のプロセスには、多くのディテールの入念な見直しも含まれていました。 布製ルーフの開口部のロックハンドルは、以前は2つのメタル製のものが使用されていましたが、この際に、プラスティック製のものになり、中央の1ケ所だけ付けられるようになりました。 スタータースイッチレバーと内側のドアノブの素材も、アルミニウム製から黒色のプラスティック製に変えられました。 ダッシュボードの表示ランプもシンプル化の対象となり、レンズを回転させることによるイルミネーション照度調節のメカニズムが廃止されました。 ダッシュパネルの下端を覆う保護用のクッション入りパットにさらに厚みがつけられ、デザインもシンプルになり、バラバラに付けられていたダッシュボードのスイッチ類も順序だって並列されるようになりました。 他にも細かい部分のモディファイが行なわれ、車内装備はより合理的なものになったのです。 そればかりでなく、組立工程における低コスト化にもつながりました。 外観に関してもシンプル化が見られます。 前部ボンネットの上や、リアウインドウの下のエンジン冷却エアー取り入れ口部分や、サイドのドアノブ高さ部分にあったピカピカのアルミニウム製の無用な装飾が外されました。 フロントパネルの上を飾る2本のヒゲの付いた3分割の社名マークは、デザインはそのままに保たれたままワンプレスによるプラスティック製に代えられました。 前後のポジションランプのデザインも変更。 テールランプのメタル製のベースが外されたことで、平たくなって出っ張らなくなり、前方ポジションランプも単純で安価なものに変えられました。 クロムメッキのヘッドライトリムは従来のものが残されていましたが、ヘッドライトのレンズカットは左右非対称になりました。 ホイルキャップのデザインは以前のものがそのままに保たれましたが、アルミニウム素材ではなく、ステンレススチール製になりました。 500Fのモデルから採用されたエンジンのメカニズムに関しては以下の改善が行なわれています=エアーフィルターの大型化、ダブルバルブスプリングの採用、ブローバイガスの循環システム、プレス加工の2つの半カバーで構成されるマフラー(以前の両端がディスクで閉じられた円筒形のものから変更)。 その他のメカニズムのディテールのモディファイは以下の通りです=容量が22リットルの形状に変えられた燃料タンク、グラファイトに代わってボール・ベアリングが付けられたクラッチのレリーズベアリング、大径化されたジョイントとドライブシャフト、後部サスペンションアームの補強、内径が大きくなった前ブレーキのホイールシリンダー、エンジン部と車内のあいだの優れた消音材、120km/hまでの計測が可能なスピードメーター。 1965年から1972年にかけて生産された『500F』の内装については、前述の事項以外にもちょっとした変化が見られます。 発売初期の『500F』では、前部のポジションランプとウィンカーランプのベース部分はアルミニウム製のままで、メタル製の小物入れ、アルミニウム製の内部のドアノブとリアウインドウの下のエンジン冷却エアー取り入れ口の上側の縁取りがまだ残っていました。 これはおそらく、在庫パーツを使いきってしまうために、以前のシリーズ生産車のパーツを使用したためと考えられます。 発売開始からすぐに『500F』のモディファイが始まったわけですが、すべてが最小限の改変で、しかもそのほとんどが、パーツ供給の都合によって素材が変えられたくらいでした。 そのうちの特記すべきものとしては、1968年から座席カバーと車内のドアー/リヤーシートサイドの内張りが同色になったこと、ナンバープレートランプがアルミニウム製でなくプラスティック製になったことが挙げられます。 さらに、誕生して間もなかった『Fiat 500L(Lusso)』と足並みを揃えるためのいくつかのモディファイも見逃せません。 |
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500F
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| 本文の通り、数多くの改良点が加えられて、チンクエチェント史上最大のヒットとなったFタイプ。 |
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チンクエチェントの物語 第13回
1960年:ジャルディニエラはベルヴェデーレを悲しませない 掲載日:2003年9月3日 商用車として高いユーティリティをもった『トポリーノ・ベルヴェデーレ(Topolino Belvedere)』の生産が終了したのは1955年。 このクルマを営業用車としてもフリータイムのプライベートカーとしても活用していた職人や一般商人は非常に残念な思いをしていました。 代わってポジショニングを担った『600ムルティプラ( Multipla)』は、いくつかの不具合、特にエンジン配置の都合で後部の扉が付けられていないという商用車としての大きな欠点をもっていました。 そしてあのユニークな外観が、元祖である『トポリーノ・ベルヴェデーレ』の穴埋めをするほどの器量がなかったうえに、《文化人》のクルマにそぐわないという判断が下されてしまっていたのです。 市場の要望に応えて『Nuova 500』の商用車を設計するにあたっても、セイチェントと同様にエンジンがリヤにあるために荷室配置の問題は、きわめて克服しがたい難点となっていました。 1958年になって、サイドに大扉が付けられ、ボディーが延ばされて車高が高くされた奇妙なチンクエチェントの試作車がいくつか出回ったことから、『600 Multipla』のような不細工な営業用チンクエチェントが出現するのではないかと予想されました。 しかし1959年になって、設計技師グループによって考え出された妙案のおかげでエンジン配置の問題は見事に解決され、行き詰まりに陥っていた事態は一挙に好転したのです。 この新案の《横寝かせ》式のエンジンを搭載する『500 Giardiniera(ジャルディニエラ)』は、1959年の初頭から試作されていました。 この新モデルがようやく公表されたのは1960年春のことで、Autobianchi(アウトビアンキ)社の《デラックス》タイプであるビアンキーナ・パノラミカ(Bianchina Panoramica)と同時発表されました。 水平横置きシリンダーをもつ新開発エンジンは、想像たくましい民間のあいだで《ヒラメ》と通称されました。 まさしくピッタリのあだ名で、平べったく、わずかな厚みをもつヒラメ形をした独創的なエンジンを開発したことで、後部に扉を取り付けることができ、平坦な荷台を設けることが可能になったのです。 扉はジャルディニエラのために特別に考案されたもので、ルーフに少しばかり食い込むように設計されたため、ボリュームのある荷物も楽々と積み込むことができます。 下にエンジンが設置されているにもかかわらず、荷台の高さは地面からたったの60cmなので、荷物の積み降ろしはいたって快適です。 後部座席を前に倒せば、奥行を広げることもできます。 最初の数シリーズでは、後部座席のクッションの厚みがかさばって荷台を拡張したときに邪魔になっていましたが、後になってクッションが薄くされて荷台が平坦になり、使い勝手がますます高まりました。 後部座席の後方に設置されているエンジンは、フラップドアに覆われているだけで、修理はこれを開ければ簡単に出来ます。 また、日常のメンテナンスに便利な小さな開口部も付けられています。 幾層かの断熱材をもつフラップドアはかなり入念に設計されていて、ジェルディニエラの車内に伝わるエンジン音は、ルーフオープン式のセダンタイプのチンクエチェントと同じ程度です。 空冷式2シリンダーカーにとっては、エンジンの冷却エアー循環システムが重要になってきますが、このモデルでは、車体後部にうまく隠されたダクトとサイドの通気口からエンジン冷却用のエアー循環が行なわれています。 サイドの通気口はエレガントなクロムメッキの装飾に覆われていて、美的価値も高いものです。 実際に、後部ウィンドウのデザインと調和しており、サイドラインの上側のボリュームにポイントを与えています。 スライド式の後部ウインドウはセダンのものよりも大きく、車内換気がずっと効率的になりました。 布製のオープンルーフもセダンのものよりも大きくされたので、暑い季節には風通しの良さが際だちました。 冬期用の暖房装置も改善されて、後部座席にあたる部分のヒーターダクトにふたつの暖風口が開けられました。 さらに、幅広いタイヤと改良されたサスペンションが適用され、車内の空間も以前より拡張されたため、ジャルディニエラは、クルマとしてもさらに快適になっていました。 営業用車として利用した商売人だけでなく、ノーマルタイプのチンクエチェントに家族全員が乗り込むのは窮屈すぎると感じていた人々にも歓迎されるクルマとなりました。 ジャルディニエラは、ルーフオープン式のセダンタイプのチンクエチェントよりも全長が21cm長く、ホイールベースも10cm長くなっています。 重量は555kgで、運転手を除く積載重量は250kg。 したがって当然のことながら、サスペンションとブレーキシステムが補強され、タイヤもそれに見合ったものが採用されることになったのです。 タイヤが装着されるホイールはセイチェントのものと同型で、これに見合った強化タイプのブレーキが付けられています。 ヒラメ形のエンジンの排気量は499.5ccで、フィアット・チンクエチェントの全モデルのうちで最高の強力パワーを誇っています。 しかし、実際のところ、ジャルディニエラの重要なポイントは強化されたパワーなのではなく、それまでの様々なクルマづくりの経験からインスピレーションを受けた最新のデザイン設計にあると言うことができるでしょう。 新車開発企画にあたってのプロジェクト・ナンバーが従来の110,000ではなく、120,000と独立したナンバーであったことも、この事実を証明しています。 排気システム、キャブレター、ディストリビューター、エンジンサスペンション、空冷装置(シリンダーに到達する前にオイルパンを冷却する)のいずれを見ても、すべてが機能的に設計されていて、ジャルディニエラが成功した理由にうなずけます。 さらに、路上の走行テストでもジャルディニエラの優越性が実証されています。 このクルマのエンジンは従来のものよりも機敏で、スムースで、柔軟性があるのです。 そのうえ、ずっと使い易く、スポーツカーのような感触さえあります。 エンジン振動に関しても、セダンに較べてジャルディニエラの車内にまで伝わる振動は、かなり抑えられています。 ジャルディニエラのエンジンを設計するにあたって果てなき労力を費やしたエンジニアたちは、再考を重ねた結果、吸引と排気の双方がうまく循環するような最適の配置法を考え出しました。 チンクエチェント・ジャルディニエラは、前述のように優れたクルマであり製造期間中ほとんど重要な改変を受けなかったクルマです。 ドアの開閉方向が新しいタイプとは逆向きなのにもかかわらず、1977年(その10年程前からアウトビアンキ(Autobianchi)社に移されていた)になって生産が打ち切られるまでそのままにされ、モディファイされることはありませんでした。 ジャルディニエラのエンジンはメンテナンスが容易で、横置きシリンダー配置のおかげで重心が低く、セダンよりもベビージュニアクラスのモノポストのレースカーに適していました。 実際に、レーサー志望の若者の多くがこのレースカーで練習してデビューしています。 ヒラメ形の水冷式シリンダーをもつこのエンジンの発展型のものは、ポーランド生産のFiat 126 bisにも取り付けられ、ずっと後の1992年発売のチンクエチェント(Cinquecento)のエンジンとして復活しています。 この新型《チンクエチェント》にまで発展したジャルディニエラを起源とするエンジンは、最終的に水冷式で排気量700cc、パワー31CVとなり、2シリンダーカーFiat 500の全シリーズのエンジンのうちで最も長寿を誇るものになりました。 |
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500 Giardiniera
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| 全体的に丸みを帯びたシルエットは、本当にカワイイですね。でもこれが働き者のステーションワゴンなんですよ。 |
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| エンジンはボディのリア部分に「え〜、こんなところに」って感じですっぽりとおさまっています。 | “ヒラメ型”と呼ばれた、ジャルディニエラ用に改良されたエンジンです。 |
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チンクエチェントの物語 第12回
1960年10月:500Dの誕生 掲載日:2003年8月7日 1960年代の訪れとともにイタリアでは高度成長時代が始まっていきます。 国民の貯蓄増加にしたがって消費傾向が高まり、より上質な製品への志向が強くなっていきます。 こうした社会現象に対処するためにフィアット社はセイチェントのクオリティーアップに取り組み、同車の排気量を上げました(633〜767M)。 当然、販売価格も引き上げられましたが、以前より豊かになった市場には好感を持って受け入れられました。 セイチェントの戦略変更が好結果を生んだため、そのすぐ後にはチンクエチェントも同様のオペレーションの対象となりました。 チンクエチェントの排気量拡大はフィアット本社が考えていた値上げ踏み切りの格好の口実となり、リスト価格が15,000リラ引き上げられたのです。 この機会に商品名も変えられて《Fiat Nuova 500D》が誕生したのです。 このニューモデルの新しい点は以下のとおりです。 セイチェントと同タイプの燃料タンク設置による車体前部の荷物用スペースの拡大、後部全体が荷台に変わる前倒し式の後部座席の背もたれ、全鋳造でなくプラスティックカバーをもつメタル製プレス加工の前座席間のスターターレバー。 メカニズムに関しての主な改善はセイチェント同様エンジン排気量の拡大化でした。 このエンジンは《110D.000》と命名され、生産終了が間近に迫っていた500 Sportと同容積の499.5Mにまで増加されました。 ただし、パワーは1CVのアップに抑えられました。 それはクルマの使い易さや滑らかな変速のためのギア導入などの点が最優先されたからです。 オープンカータイプのチンクエチェントの生産はこの時点でもまだ続いていたのですが、その先行きは見えていました。 新車500Dの改善内容そのものはそれほど大袈裟なものではなかったのですが、一般から熱狂的に受け入れられたからです。 このニューモデルのチンクエチェントは以前のチンクエチェントとは全く違ったタイプのクルマで、それはイタリア人が心待ちにしていたみんなが乗れる“本当の小型車”がようやく出現したといっても過言ではないでしょう。 1959年に販売されて好評だった4人乗りチンクエチェントに最後の仕上げを加えて完璧なものにしたのが『500D』であると言えます。 『500D』は4人乗りであるだけでなく、排気量が拡大されたことで路上での走行性がさらに向上されました。 さらに、当時イタリア全体が高度経済成長を遂げていた時期であることは前述したとおりですが、それは新しいクルマを魅力的に見せるまたとない好機に発売されたという幸運にも恵まれていたともいえます。 イタリアでは、1958年に工業従事者数が農業従事者数を上回っていたのです。 このわずか数年のあいだにイタリアの社会・文化面において見られた新現象の結果、新しい消費財の購買欲が高まり、その欲望の対象の筆頭に挙げられたのが自動車だったのです。 この時代には、北部地域と南部地域、田舎と都市、ブルーカラーとホワイトカラーのあいだの格差も徐々に縮小していました。 それだけでなく、様々な情報が行き渡るようになり、あらゆる人々が個人的に距離移動する必要を強く感じ始めた時代でもあったのです。 その結果、もはや自動車は贅沢品とは見なされなくなり、仕事や娯楽における必需品であるとまで考えられるようになっていました。 1960年から1964年までのあいだに、チンクエチェントの年間生産台数は60,000台から160,000台に一挙に増加し、1965年の年間予想生産台数は200,000台を越えていました。 1961年に開催されたトリノ・オートサロンで、細部の際立ったモディファイが加えられた『500D』が発表されました。 フィアット社が発表したこのニューモデルには、サンバイザー、ダッシュパネルの下端のクッション入りの黒色のパット、灰皿、ポンプ式のフロントウィンドーウォッシャー、ドアの開閉に伴う自動点灯のルームランプが新装備されていました。 クルマの観点でみればこれらはそれほど大幅な改変とは言えませんが、こうした細かい気配りは、イタリア人ドライバーたちにフィアット社の自動車製造にあたっての核となる精神が“安全性と快適性”であることを気づかせるには十分なPR効果となったのです。 ダッシュボードの下端にクッション入りの黒色のパットが付けられたことで、ちょっとした衝突事故があっても、ドライバーの膝が擦り剥けることもなくなりました。 このような安全性を目的としたパットとサンバイザーが小型車に装着されたのは自動車界で初めてのことだったのです。 さらに1964年になると、スイッチをオフにすると自動的に元の位置に戻る完全オートリターンワイパーが採用されました。 『Nuova 500D』のモディファイが表面的なものでしかなかった期間が何年も続いたため、多くの市民はもはや根本的な改造を加えないままにチンクエチェントの生産を増加していくのがフィアット社の当面の戦略であろうと考えるようになっていました。 しかし実際は、当時からフィアット社は、安全性と排気ガスに関する新規制実施の動きに最大の注意を払っており、『Nuova 500D』に続く新しいモデルとしてすでに『500F』の開発研究に取り組んでいました。 多くの市民の支持を獲得しイタリア中を埋め尽くすほどに売れたチンクエチェント『500F』。 このニューモデルが発表されたのは1965年のことです。 |
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NUOVA 500D TETTO APRIBILE(ルーフオープン式)
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| Dタイプは、ふくよかな丸みがセクシーな印象も与えます(博物館車両) | Dタイプは、ファンの間でもコレクション的な価値が高まっています(トリノのフィアット500クラブイタリア会員所有のDタイプ) |
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| 燃料タンクの改良により、荷物スペースが出来たトランクの内部 |
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素晴らしい出来のモデルを紹介します。
掲載日:2003年7月25日 車好きなら一度はインジェクションキット(プラモデル)を製作したことがあるのではないでしょうか? 美しく仕上げるのはなかなか難しいですよね。 今回ご紹介するのは、プロのビルダーである尾之内常重氏の製作したLancia Delta HF Integraleです。 尾之内氏はタミヤの専属ビルダーとしてマクラーレンのゴードンマーレイ用のモデルやアイルトンセナ用のモデルを製作し、その後イタリアで認められ、主にヨーロッパで活躍されていました。 このモデルはチンクエチェント博物館、グリフォーネ・ジャパン、ハセガワ、それと芸文社から発行されているモデルカー雑誌「プチ・ガラージュ」とのコラボレーションにより実現しました。 Lancia Deltaといえばマルティニカラーが有名ですが、イタリアの名門ラリーチームであるHFグリフォーネが、アバルトのサテライトチームとしてWRCを走らせた車です。 今後、尾之内氏とチンクエチェント博物館はグリフォーネが走らせたラリーカーのモデルを順次製作していきます。 同じ車種で数台製作する予定でいますので、もしかしたら皆さんに数台ご提供できるかも? この素晴らしいモデルはチンクエチェント博物館で展示しています。 是非一度実物をごらんになって下さい。 |
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『2°Giro Citta』が開催されました。
掲載日:2003年7月23日 昨年、第1回が行われ、大盛況だった『Giro Citta』の第2回が7月11、12日両日にわたって開催されました。 絶好の晴天に恵まれた昨年とはうって変わって今年は二日間とも天気が優れず、特に二日目はほとんど雨の天候の中、行われました。 梅雨まっただ中ではあったんですが、ちょっと残念でしたね。 このイベントは、クーペ FIATのメーリングリストを主宰されるせんださんと、こちらも自らのHPを主宰しているぶーさんが中心になられて運営される『FIAT』や『ALFA ROMEO』『LANCIA』といったイタリア車が中心に集まるオフ会です。 昨年同様このイベントには、関西、関東、北陸と遠方からのみなさんが駆けつけてくれて、参加台数は20台あまりになりました。 イベントは7月11日(土)夜のパーティーからスタートです。 イタ車乗りらしく(?)酒豪があつまるこのイベントは、パーティからとても盛り上がります。 日曜は用事があるためこのパーティだけに参加される方もいるくらい、“力の入ったパーティ”となりました。 私たちはお先に失礼させていただいたので、本当の様子はわかりませんが、夜中まで相当盛り上がったようですね。 明けて日曜日が、イベント本番。 こちらだけに参加する方も朝早く合流されてタイムラリーからスタートです。 前夜に盛り上がり過ぎたためか、前泊のみなさんの方が心なしか元気がなかったようですね。 受付と開会式の間は曇りのまま持ってくれていた天気も、スタートする頃には雨となり、屋根をあけて準備していたバルケッタやスパイダーもすぐに幌を閉めなければならなかったようです。 本当に残念でした。 タイムラリーに出ていたクルマが帰ってきたところで昼食です。 今回はさすがにオープンテラスと言うわけにはいけませんが、レストランの中でタイムラリー中の話題に花が咲きながらの楽しい昼食でした。 昼食が終わると今度は場所をレストランの隣のスタジオ『グーフィー』に移して参加者のみなさんが持ち寄ったプレゼント交換会の始まりです。 今回は参加者の方が各自持ち寄った持ち物をじゃんけん大会の景品として交換してしまおう、という企画です。 ちょっとうらやましいモノからどうやって使うのか悩んでしまうモノまで、たくさんの景品が提供されました。 とても盛り上がりましたよ。 ホントは私もじゃんけんに参加したかったくらいです!! 生憎の天候も吹き飛ばすくらいラテンのノリを楽しまれる元気のいい方たちばかりで、お手伝いさせていただいていた私たちもとてもハッピーな気分で過ごさせていただいたイベントでした。 まだ第3回については決まっていないそうですが、是非開催してくださいね。 お待ちしてますよ〜! |
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| 低い雲が立ちこめる中、20台以上のクルマが集まってくれました。 | スタートの時点ではまだ雨も降ってなかったので、幌を降ろしてスタートしたのですが、天気はもってはくれませんでした。残念! |
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| 晴天でのクルマはもちろんいいですが、雨の中のクルマもしっとりとして雰囲気がありますよね。 | 色とりどりのクルマが並ぶととても華やかです。さすがイタ車ですよね。 |
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| 今回の企画、プレゼント交換会が始まります。説明を聞いている間もテーブルに並べられた景品が気になります。 | 目の前に並んだ景品に、じゃんけんにも力が入ります。 |
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| 最後はみなさんで記念撮影です。またいつかお会いしましょうね。 |
| 過去の掲載分はこちらです。 |