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チンクエチェントの物語 第11回
1959年のジュネーヴ・オートサロン: 四人乗りヌオヴァ・チンクエチェントの誕生 掲載日:2003年7月18日 1959年3月のジュネーヴ・インターナショナル・オートサロンに参加したフィアット社は、いつになく積極的な態勢をとりました。最新の6気筒式1800・2100のニューモデルのセダンを発表して、それまでの同社生産車の平均シリンダー数を越えた新分野への参入姿勢をライバル社に明らかにしたのです。 そして現実的には、フィアット社のヨーロッパ市場における販売攻勢の具体的内容として、1100・1200部門の革新化や、セイチェントのパワーアップなどにも見られましたが、何よりも、チンクエチェントの内装に関して大きな決断が下されたことが特記されるでしょう。 それは、ついに理想的な形で後部座席が設置されたということです。 後部座席の設置にあたっては、足元にあたる床部分の2ヶ所が少し下げられ、リアウインドウの下部からルーフの中央まで鉄板がはめこまれて、それに伴いルーフ後端が数センチ上げられました。 こうした新しい改造によって車内での快適さが増し、さらに、布製ルーフに使われていたアクリル製のリアーウィンドーが黄ばんでしまうという以前に見られた難点も解消されました。 鉄板の半ルーフの採用と同時に、後部座席の乗客が衝突事故の際に天井に頭を打っても大丈夫なように、バナナの様な形をしたプラスティック製の2つの小さなクッション(左右に一つずつ)が後部座席上部のピラー内側に取り付けられました。 運搬重量(乗員人数)の増加に備えて車体後部が強化されましたが、それ以外のメカニズムについての変更は行なわれず、販売価格も従来の値段がそのまま保たれました。 この《ルーフオープン》式と命名されたニュータイプのチンクエチェントが発表されてからも、ルーフがすべて布製である前モデルのチンクエチェントの生産は続行され、《オープンカー》と新たに呼ばれるようになりました。 ノーマルタイプのチンクエチェントは新しいタイプとの差別化からみても存在意義が薄れ、姿を消していきました。 固定式ウインドウと貧弱な装備がそのままであったエコノミータイプは、エコノミーの呼称が外されて、当分のあいだ販売リストに残っていました。 同年9月に全モデルのパワーアップが行なわれて16.5CVのエンジンを持つモデルが誕生しました。 発売当初は、以前も書き記したようにそれなりの根拠があって、一般消費者から敬遠されたチンクエチェントでしたが、このルーフオープン・モデルの登場によってチンクエチェントの質の高さが次第に評価されるようになっていきました。 新しい改善によってチンクエチェントの長所は、市街での使い易さ、家族全員が乗車できること、これまでにない低価格であったことなどがあげられます。 この時新しいチンクエチェントの歴史が始まったともいえます。 このように、生産開始から2年が過ぎ、一連の根本的改善によって初期モデルの13CVから一挙に27%もパワーアップされたことで、ヌオヴァ・チンクエチェントの販売台数はようやく急激な伸びを見せるようになりました。 自動車登録数が伸びるのは喜ばしいことでしたが、次の問題は、いかにして急増する需要を満たすだけの拡大生産体制を組むことができるかがフィアット社にとっての新しい心配の種となったことです。 心配の種とはいえ、生みの苦労に悩まされ続けたスタッフにすれば、うれしい悲鳴が聞こえてくるような悩みです。 その後の1年間は、この新問題の解決に向けて技術者たちの全エネルギーが注がれ、ほとんどモディファイは行なわれませんでした。 唯一の例外は1960年の道路交通法改正に合わせたヘッドライトの改善でした。 ポジションランプとウィンカーランプを伴ったアルミニウムのベースを持つスモールライトがヘッドライトの下に設置され、両サイドの長細い反射板はオレンジ色の丸形のものに替えられてフェンダーに付けられました。 また、新設されるスモールライトが従来のヘッドライトの下に開けられた通風口を塞いでしまうことになるため、新しい換気システムの開発が必要にもなり、どこかクラシカルな雰囲気を漂わせるスタイルが終焉を迎え、チンクエチェントの外観上にみられる大きな変革期となりました。 |
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NUOVA 500 TETTO APRIBILE(ルーフオープン式)
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| クラシカルな中にもかわいらしさがある初期型のシルエットも、以後見られなくなってしまいました。 | チンクエチェントの新しい存在を価値を知らしめた“後部座席”。圧倒的にユーザー層を拡げましたが、やっぱりシンプルでしょ。個々に家族の楽しみがいっぱい凝縮されていったんでしょうね。 |