チンクエチェントの物語 第10回
改良によってさらに完成品となったチンクエチェント
フィアット社のターゲットはヨーロッパだ
掲載日:2003年7月1日

イメージ戦略としてのスポーツカーは大成功を納めていきましたが、事の成り行きを後年になって振り返って見ると、Nuova 500の誕生は少し早すぎたと言うことができるのではないでしょうか。
そのために、チンクエチェントは、誕生後の数年は度重なるマイナーチェンジを受けることになり、性急にではなく少しずつ完成されていき、やがて後生に名を残すクルマとしての地位を確立、大勢のファンに支持されるようになったといえます。

マイナーチェンジの中心はメカニズムに関するものでしたが、当初困難を見せた市場対策も図られました。
それは、多くの市民がクルマを持ち始めようとしている時代の中でゆっくりと変貌を遂げていた自動車市場にうまく製品を適応させるためのもので、単なるマーケティング上の必要に迫られてのことでした。
1958年10月発売の新モデルのモディファイは、ブレーキとエアーフィルターのメカニカル面にのみ限られていました。
しかし、続けて発表された同年11月のモデルでは、装備面での改良も行なわれ、このことは、クルマをより魅力的に見せるための戦術であり、まさに自動車を初めて購入しようという新しい顧客層に向けての販売戦略と見ることができます。

当時のイタリアの自動車総数は120万台あまり。
年間自動車生産台数総計は約400,000台で、前年に比べて21.6%の増産が見られるという、まさに自動車社会の大きなスタートが切られようとしていた、まさにその時といえます。
自動車輸出に関しては、成長率48.8%という記録的な伸びを示していました。
《カエルの目》と通称されるおもしろい形をしたヘッドライトが付けられたモデルのチンクエチェントは、大西洋を越えて輸出されました。
しかし、アメリカにおける同モデルの出現は、新市場での販売網拡張につながっていったわけではなく、単発的なものでしかなかったようです。

もっとも現実的だったのは、他の地域の市場においてでした。
その当時のフィアット社は、ヨーロッパ規模での視点から成り行きを見るようになっていたようです。
そしてヨーロッパでの市場拡大に向けてフィアット社がとった最初の第一歩の戦略は“低価格化”戦略でした。
『Nuova500』のエコノミータイプの値段は465,000リラから390,000リラに下げられ、ノーマルタイプの値段は490,000リラから430,000リラに下げられたのです。
こうした価格の引き下げによって、300万人にのぼっていた“スクーター利用者”がみんな頭では考えていた自動車購入の実現化がさらに具体的になっていったようです。

 
ユニークなシルエットのアメリカ仕様のチンクエチェント。 大きく飛び出した特徴的なヘッドライトは《カエルの目》とも呼ばれます。他には大きなバンパーも特徴です。これはアメリカの規制に合わせての変更だったようです。

室内のバックミラーにはラジオが付いていました。良く聞こえたかは疑問ですが・・、おしゃれですね〜!(博物館展示車両)

協力:フィアット500クラブイタリア
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