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チンクエチェントの物語 第9回
イメージ戦略としてのチンクエチェント・スポーツカー 掲載日:2003年6月11日 お待たせしました、チンクエチェントにとってそんな時がようやく訪れました。 今回は、そんなチンクエチェントのお話、みなさんもご存じの(はず)スポーツバージョンについてです。 チンクエチェントのイメージがまだしっかりと定着もせず、いくつかの改良によっても販売アップの起爆剤とならず、ついには、ジャコーザ氏が病に伏してしまったというような噂までが流れるといった状況を打破するために、フィアット社がとった戦略は、スポーツカーとしての性能を開発してレースに登場させると言うものでした。 イタリアで車を売るには、“スポーツカーレース”での活躍がシリーズ生産車の販売促進につながる最後の切り札であることが知られていたからです。 スポーツカーとしてのチンクエチェントを語る上で忘れてはならないカロッツェリアがトリノのアバルト(Abarth)です。 アバルトは、500cc以下のカテゴリーにおいてスピードと耐久性の新記録を次々と生み出し、フィアット社とファンの期待に応えました。 さらに、シリーズ生産車を強化改造したセダンや、モノポストの流線形スペシャルカーも最良の結果を記録して、当初の狙いは見事に遂行されていったのです。 こうした新記録の続出によって大反響が起きましたが、フィアット社はこれに満足することなく、自社で特別設計のレース用のモデルにも取り組んで、本格的にレースカー部門に進出することを決めました。 1958年9月にノーマルタイプをレース用に特別改造したスポーツタイプの『Nuova 500 Sport』が発売されました。 クローズドトップのセダンタイプとルーフのオープンが可能なものの2種類が用意されました。 セダンはルーフ全体がメタル製で3本のプレスラインが入った目新しい仕様に仕上がっていました。 オープンカーの方は、装備が少しだけ変えられているものの、従来のオープン式チンクエチェントのスタイルがそのまま継承されていました。 ボディー色はホワイトとグレーのみでしたが、両方ともに、ボディー両サイドの赤色ラインと、塗装された赤いホイルが特徴でした。 最後のいくつかのオープン式のスポーツカーには、1960年に新型のヘッドライトが設置されました。 さらに、赤塗装のホイルに替えて、同年生産のチンクエチェントやその直後に発売された『Nuova 500D』と同様のメタリックグレーのものが装備されました。 『Nuova 500 Sport』のエンジン機構にはかなり充実したメカニカルな改造が施されており、略号110.004が付けられています。 排気量は499.5cc。 新開発のグレード別の鋼鉄製カムシャフト(通常のクルマは鋳鉄製)と、キャブレターWeber 26 IBM 2のおかげで、パワーは21.5CVにまで上げられました。 他のメカニカルな改善においては、バルブスプリングとバルブシートの強化、ハイコンプピストン、吸入・排気ポートの研磨、回転数を減らすためのファン・プーリーの大形化などがみられます。 最高時速は105〜110kmにまで達することができるようになりました。 改造の一端をかいま見るだけでも『500 Sport』のプロジェクト実行にあたっては、一般的なシリーズ大量生産というよりも、綿密な職人製作における規範に近いものが採用されていたことが理解できます。 したがって、製造過程におけるコストはかなり割高になり、その結果リスト価格が569,000リラとなってしまったようです。 しかしこうした高価格がつけられたにもかかわらず、同モデルを実現するためにフィアット社が投資した開発費用の大半を回収することさえ不可能であったそうです。 とはいえ、当初からの狙いであったイメージ戦略の観点からは、以下の結果を見ていただけばお分かりの通り大成功を納めたプロジェクトとなりました。 『500 Sport』は登場するやいなやすぐさま、スポーツカーレースにおいて好結果を続出! 発売に先立つ1958年5月26日ドイツ・ホッケンハイムでの500kmレースでは、グループ参加の『500 Sport』がめざましい活躍を見せ、第1位から第4位までの完全独占の快挙を果たしました。 レースの参加規定では、ドイツ車が有利に立つように裏工作が行なわれて、排気量上限が600ccに設定され、それまでの強力ライバルであったフィアット600(633cc)の参加が事前に阻止されていたのです。 しかし、レース予想は見事に覆され、わずか500ccの新参のチンクエチェントが圧倒的な勝利を飾ったのです。 レースは、3カテゴリー(300cc、500cc、600cc)に分類された32台の参加車でスタートの幕が切っておろされました。 大部分の参加車が企業が送りこんだワークスカー、あるいはそれに準じるもので、まさに各社の名誉と社運をかけた大会の様子を呈していました。 本国ドイツからの参加車はLloyd、NSU、BMW、Goggomobil、Maico・・。 イギリスからはMeadows Frisky、Berkley。 フランスからはCitroen 2CV。 イタリアからは、Fiat 500 SportとFiat Abarth 500の参加がみられました。 予選において、はじめはBMW、Lloyd、NSUの3チームが、ほぼ同タイムで首位を競っていました。 イタリアチームは、何と政治選挙のために遅れて参加することになってしまったのです。 しかしチンクエチェントのイタリア・チームが到着してまもなく、レーサーの“シジ・ヴィッロレージ”によって一挙に最高タイムが記録されると、本番レースでも、『500 Sport』は同カテゴリーの諸ライバルを総崩れさせ、第1位から第4位までを見事に独占したのです。 この完全勝利はチンクエチェントの優越性を証明するものであり、その後の同車の販売伸長につながっていくことになったのです。 また、それ以降にスポーツカーレース分野にて刻まれてゆくこととなるフィアット社の華々しい経歴の幕開けとなった歴史的にもメモリアルな大会となりました。 ドイツのグランプリレースにおける『500 Sport』の大勝利に影響されて、イタリアの各種レースの組織委員会でも500cc以下のカテゴリー設定が次々に決定され、『500 Sport』と『Abarth』は大活躍していくことになります。 後になると、こうしたレースがレーサー志望の若者たちにとって格好の実践的な訓練場であることも明らかになったいきました。 各地のレースでの活躍は別として、すばらしい性能を備えた『500 Sport』そのものが興味をそそるクルマであり、ドライブするのがおもしろいクルマであり、路上試乗では、走行テストにおいてもスピードの点でも、ハイレベルの結果を示しました。 しかし残念ながら、『500 Sport』の薄板のルーフが防音効果も考慮されたうえで特別設計されたのにもかかわらず、《轟音》が車内にまで伝わることが判明し、スポーツカーにとって重要な音響面での結果は思わしくなかったそうです。 |
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NUOVA 500 SPORT
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| 500SPORTルーフオープンバージョン。スポーティな中にもかわいさがあるでしょ! | ステアリング。操作次第で100kmオーバー。体感速度はすごかったでしょうね。 |
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| エンジンルームです。(博物館展示車両) |