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チンクエチェントの物語 第3回
掲載日:2003年3月11日 フィアット・チンクエチェント(FIAT 500)は、1957年から1975年にかけて生産され、庶民の生活様式を変え、自動車についての概念、クルマの用途といったものを変革するひとつのシンボルとなりました。 フィアット社は様々な用途に適したタイプを生産し、消費者のニーズに対応しました。 レース用のチンクエチェントから、シリーズ外生産のチンクエチェント、様々な記録を作り出したチンクエチェント、さらには、ビーチ用のチンクエチェントまで・・。 しかし何といっても、チンクエチェントが広く一般に普及して有名になったのは、シリーズ生産車そのものが持つ多機能的で普遍的な品質が認められたからでしょう。 今日にいたっても、チンクエチェント自体が魅力的な研究の対象となっていることからも明らかです。 このクルマの歴史を知るということは、その鏡を通して、イタリアがたどってきた人々の習慣と経済情況を再発見することに他ならないと考えて本文を続けます。 スクーターオーナーを狙え 1957年、チンクエチェントが発売された当時のイタリアは、ランブレッタ、ヴェスパと言ったスクーターが町に溢れていました。 まだまだ戦後が色濃く残っていた時代です。 フィアットのエンジニアであったダンテ・ジャコーザ氏は、スクーターに対抗できるような四輪車開発のアイデアを考え続けていました。 チンクエチェントに採用されているエンジン・サスペンションシステムは、エンジニア界におけるちょっとした最高傑作といわれています。 振動は致命的な欠陥のひとつで、並列式2気筒エンジン車の新プロジェクトを挫折させてしまっていたかもしれないほどのものでしたが、フィアットの頭脳グループは、安価で決定的な解決法を見事に考案したのでした。 チンクエチェントのエンジンフードを開けて中を見ると、シンプルながらもアイデアに満ちたものであることに誰もが気づきます。 振動問題の解決の鍵は、振動を最小限に食い止めることのできるスプリングと懸架アームの発明でした。 また、ダンテ・ジャコーザ氏が細心の注意を払って設計したのはボディ部分です。 ジャコーザ氏の理想は、美しいフォルムを持ちながらも頑丈で、さらに軽量であり、しかも、生産コストが安価なことです。 容積を400ccとするこの自動車の新開発の企画は《プロジェクト110》と命名され、1954年10月18日にトリノ本社で開かれた《ニュータイプ・レポート》会議の場で、初めて討議の対象となりました。 この首脳会議以来、当開発プロジェクトは加速的な進展を見せ、ボディの仕様は間もなく決定されます。 ただエンジンについてはトップバルブにするか、それともサイドバルブにするかの選択に時間がかかったようです。 水平対向シリンダー配列(cilindri contrapposti)を支持する意見が強かったそうですが、コストがかかりすぎるとの理由で、ジャコーザ技師は反対の立場を貫いたそうです。 1956年に入った新年早々の1月4日のニューモデルを議題とした第1回会議では、ジャンニ・アニエッリ社長、エンジニアのジョヴァンニ・ナージ技師が討論に加わり、ミニカー110の生産が翌年の1957年の春から開始されることが決定されます。 この時点における主要な課題は、製品の完全化と、生産体制の確立でした。 すぐさま詳細についての専門的な研究が行なわれ、生産工程における大幅なコストダウンを可能にしました。 それは、プレス加工の工程における原材料の減量化によるものであり、その一方、使用原材料の選択と生産技術においては、当時の最先端テクノロジーを駆使することで、生産の低コスト化がさらに進められることとなりました。 ここで特筆すべきことは、それまでの鍛鉄製のものに代えて、鋳造によるクランクシャフトを採用したことでしょう。 メカニズムの心臓部にあたる部分に、当時の製鉄業部門で新開発されていた最新素材のパーライト鋳鉄が自動車製造において初めて使われるようになったのです。 この素材は、強靭さにおいては鋼鉄と同様でありながら、非常に低コストである点が大きな特色です。 当時の小型車製造においては、低価格に抑えることが、何よりも重要な課題でした。 素材だけでなく、単純ながらも低コストで画期的なアイデアが次々と採用されていきました。 そのうちの主なものをあげると、遠心力利用のオイルフィルター、変速が容易なトランスミッション、グラファイトのクラッチレリーズベアリングなどが列挙できるでしょう。 このようにして、新プロジェクトは順調に進展してゆきますが、チンクエチェントの発売に際して、販売部門での問題が浮上することとなってしまいました。 これは、チンクエチェント販売の初期に打ちあたった困難の元凶でした。 問題はこの小型車を市場にいかに位置づけるかということで、当然、2年前の1955年に発売され大好評を博していた『フィアット・セイチェント』の売れ行きに影響することが危惧されたからです。 この問題に対処するために、つまりセイチェントとの差別化を図るために、なんとわざわざルーフ後部を下げて、後部座席を排除することが決定されてしまいました。 その結果、ホイールベースはわずか1.840m。前部のトレッドは1.121m、後部は1.135m。 バンパーを含んだ全長は2.970m、車幅は1.320m、車高は1.335mの、まさにミニマムトランスポーターの誕生となりました。 ジャコーザ氏が新車チンクエチェントのユーザーと考えていたのは、前述の通り、2人乗りスクーターの利用者であったそうですから、彼の計算では、少しばかりの不便さはあっても、チンクエチェントは屋根の付いた便利なスクーターとして、スクーター利用者に歓迎されて受け入れられるだろうと見ていたようです。 1957年7月、ヌオヴァ・チンクエチェントは、満を持して登場しました。 そして発売即大成功をおさめるに違いないと予想されていました・・・。 しかし現実は予想に反して、販売開始となった2人乗りチンクエチェントは市場に受け入れられることはありませんでした。 チンクエチェントの当初の予想外の不成功がようやく挽回されるようになったのは、その後に加えられたいくつかの改良が行われてからのことです。 |
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| 発売当時のパンフレット写真。ジャコーザ氏の先見の明と技術が結集されたが・・・。 | 後部は、ラゲッジスペースになっている。“屋根付きのスクーター”を考えたそうだが。 |
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| ダッシュボードは、超シンプル!サイドウインドウもはめ殺しなのでウインドウレギュレーターもない。(写真右上と左下は1957年7月生産の最初期型です。チンクエチェント博物館に展示中です。) | ルーフはエンジンフードの上まであけられる。鉄の使用を押さえる意味もあるようです。 |