知性を持った人類は、道具を作り出して社会を繁栄させ、より快適に暮らす方法を求め続けてきました。様々な道具は、不満や不具合を解消することを目的としてリファインが繰り返され、新たな発想によりスタイルを変えその先進性に磨きをかけられる、というプロセスを経て合理的に進化を遂げてきました。
私たちが必要とする身近な道具の中でも短期間で飛躍的にパフォーマンスが向上したものの代表と言えば、やはりクルマです。幌馬車に始まり、やがてエンジンを搭載するモデルへと発展。この頃は一部の上流階級者のためだけの高価な道具でしたが、今では一家に1台(もしくはそれ以上)が当然の存在です。現代のほとんどのクルマは、荷物を載せておとな数人を快適に移動させる空間を有する実用的な利便性に富んだ道具であることを基本としています。
パフォーマンスやパッケージングに優れ、ドライバーへの負担を極力抑えられている分、お気楽ドライブが可能です。視点を変えれば、ややオーバークオリティであるがゆえに(不必要なデコレーションも気になりますが…)ドライバーの能力はさほど求めらませんから「クルマに乗せられている」とも言えます。いくらクルマが高性能になりエアバッグなど受動的安全性が高められているとは言え、実際に走らせているのは私たち人間です。交通事故の理由は、不注意や無謀運転という要素が挙げられますから運転の上手下手と直接結びつかないかもしれません。でも、クルマはあくまで「ヒトが使うための道具」ですから「使い手」である私たちに求められる能力は、とても重要だと考えます。
20世紀、特に高度成長期は、まさにクルマが主役の時代でした。20世紀後半は、先述の金融マーケット依存症よろしく、クルマの性能に依存した時代であったとも言えます。21世紀の主役は、私たち「ヒト」であるべきだと考えます。
クルマに興味がない方、クルマ好きを問わず「価値転換」を行い今まで置き去りにされてきた乗り手の能力、すなわちドライビング・スキル向上の意味に着眼してみていただきたいのです。
ドライビングというひとつの要素と向き合うことをベースに、自身の「価値観」について再考していただければ、と思うのです。これは「こだわり」の確認にも結びつきます。


ドライビング能力向上のヒントはスポーツ走行にアリ